2025/06/03

起きてても見てる夢(夜の夢は大好物です)

特にジェイエイ解体とか考えてないように見えるんだけど、
それは甘すぎる見立てなのだろうか・・・

ここでビート芸人の名表現をシェアしたいと思う。

ひとつの檻から出たと思ったら、そこには隣りの檻の入口がある云々

ふたつの檻の出入り口はピタッとくっついていて、単に隣りの檻に
「移動しただけだろw」ってニュアンスを何かの時に発言していた。
前後の文脈は忘れたけどなぜかそこの部分だけ覚えてる。

それは、一晩に二度三度、違う夢を観るのと似ていて、
「ワタシ目覚めました!」系の人々は結局、その夜二番目の夢を
観てるようなもの。だけどそれは夜じゃなくて昼間に目を開けたまま
見てる「夢」?「実は隣りの檻に移っただけかもよ?w」
なんてビート芸人の発言を「曲解」してみた。

さらにそんな目線で小泉Jr劇場を眺めることはできないのだろうか。
コイズミ的勧善懲悪も、アンチコイズミ的勧善懲悪も
「五十歩・五十一歩じゃねえの?w」ってスタンス
「お前らバカだなあ、小泉劇場ってモノは(笑)」と
ナゾの上から目線で諭してる人も多いけど、それは「二番目の夢でしょw」
というナゾの謎のさらに上から目線(笑)

疑心暗鬼すぎる僕は陰謀論者=飼いやすいペットへの道程だと考えていて、
今回に限らず絶妙なさじ加減で陰謀論的な道(世界観)に誘導しようと
目論む、テレビ・ネット双方のマスコミの手練手管を幻視してしまう。
(さっきの何とか屋も「なかなか上手じゃんw」とか思いながら眺めてた
ナゾの上から目線で、笑)
やっぱり被害妄想気味のコマッタチャンになってしまうのだろう。

僕個人はそこまで行かないと思うけどジェイエイ解体があったとしても、
1番目よりも2番目の夢の人々のほうが実は実は
その現実をふわっとやり過ごすことができるのかもしれない。
「ぼくたちわたしたち知ってたもん」とナゾの優越感に包まることで、